ナレーター・声優、リポーター、キャスター、司会、DJ、アナウンサー

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卒業生の声

垂木 勉 (第9期生)

カタカナ音域拡張発声・・・役だった!

ナレーションの経験がなかった私がナレーターとしてお仕事をさせていただく上で、フリーアナウンサークラブで出会った「カタカナ音声広域発声」「段下がりの法則」「意味をひとかたまり(ひと山)で読むこと」などは、具体的でわかりやすくとても役立ちました。
基本形としてのそれらは、今は様々な応用編へと形を変えながらも私の中で息づいています。
フリーアナウンサークラブと岩尾チーフには心から感謝しています。

小川 もこ (第9期生)

目から鱗がボロボロおちた・・・。

学生時代からラジオで喋っていた私だが、一時期 離れていた放送業界に また戻りたい!と、自分を鍛え直すために門を叩いたのが ここ、フリーアナウンサークラブだった。
ワイドショーやニュース番組のレポーターやナレーターを務めている卒業生、在校生が、現場の様子を活き活きと報告するのを聞きながら、彼女達がキラキラ輝いて見え、いつかは私も
…と静かに燃える日々。
毎週 通った塾での岩尾チーフの教えが とにかく新鮮で、目から鱗がポロポロと落ちた。

たとえば。
話し出しの音の取り方。
「水は高きから低きへ流れる」の教え。水と同じように、語り出す文章の始まりの音は、高めから、徐々に下げていく。途中で ぐいと持ち上げると、意味が伝わらなくなる。
これなどまさに、今、私が取り組んでいる「もの語り」の公演に活かされている。
伝わる喋り。伝える表現。その基礎を様々に学ばせてもらった。
プロミネンスも、緩急も、なにより「間(ま)」の大切さも。
当時、男子は 城達也さんのジェットストリームの原稿で、女子は尖閣諸島のアホウドリの生態を描いたドキュメンタリー番組のナレーション原稿で。繰り返し繰り返し、読み、研究し、音声表現に明け暮れた日々。辛いけど楽しかったなぁ…
つい昨日のことのように蘇ってくる。
その後、入塾半年で受けた番組オーディションに たまたま合格し、JFNの「ヒルサイド・アヴェニュー」という番組に出逢って、13年間の長きに渡って担当させてもらったのが、私のパーソナリティー人生の大きな分岐点となった。ギャラクシー賞DJ・パーソナリティー賞という栄誉ある賞もいただいた。
こんな大きな大切な機会を与えてくれたのが、フリーアナウンサークラブ。
今、最高に充実した日々を送れているのは、ここ、フリーアナウンサークラブがあったからこそ。

ほんとうに 心から感謝。

もう一つ。
一生付き合いたい心の友に出逢えたのも、このフリーアナウンサークラブの学び舎においてこそ。

もしもあの時。ここに入らなかったら、私は どんなに味気ない日々を過ごしていただろう。
想像しただけで、恐ろしくなる。
チーフ、長田さん、9期の仲間、皆に ありがとう。

こんな喜びを あなたも是非、ここで掴んでいってください。

篠原まさのり (第10期生)

気付きを得た学び・・・

ナレーターという仕事が自分にとって、もしかしたら適性が高いものかもしれないと…、
そんな気付きを得たフリーアナウンサークラブの学びの日々でした、感謝!

新居 祐一 (第17期生)

25歳で語り手を目指し、初めてお世話になった放送タレント塾。

全くの素人であった私に、岩尾先生は実に熱心な、熱血な指導をして下さいました。
 「ご自身が現場で培ったノウハウを、こんなにも惜しみなく教えてくださって良いのだろうか?」
当時、そんな事を生徒同士で話したこともありました。
放送タレント塾で学んだことは現在ナレーターを職業とする上で私にとっての大きな柱の一つです。

当時使っていた手作りのテキストは今でも御守りの様に、すぐ手の届くところに置いてあります。

宮舘 聖子 (第29期生)

実力つけたいなら・・・

フリアナへ授業体験に行った日のことを、今でもよく覚えています。

その時の教材は昔話「春に消えた娘」でした。岩尾塾長の素晴らしいお手本に倣って、塾生の皆さんがハイレベルな読みを披露。塾長からの厳しい指摘に、引き締まる空気。そして圧倒される私・・・。そのうち見学者も実力判定ということで発表のチャンスがありました。文中おじいさんが声を荒げるシーンがあり、私も精いっぱい強い口調で表現したつもりだったのですが、塾長からは「全然怒ってない!もっと怒って!!」とダメ出しの嵐。正直な話、過去に他校でレッスンを受けたり、入学説明を受けたこともありました。しかし趣味の延長に過ぎない緩い指導であったり、授業見学が出来ずにどのようなレッスンなのかイメージが沸かず、入学に至らないということもありました。

 私は塾長から「全然怒れていない!」とダメ出しをされた瞬間、入学を決めました。見学者にも甘い顔をしない此処なら、実力を身に付けられると確信したからです。そして私が期待していた通りの、充実したレッスンの日々が始まりました。スポットアナウンス、段下がりの法則、ナレーションにおあや芝居・・・と、学ぶことは山のようにありました。ナレーションのタイトルすらまともに読めず、凹みながら電車に揺られて帰ったことも・・・。

私は幸いにも通塾中にチャンスをいただき、番組キャスター役を5年近くも担当させてもらいました。フリアナとの出会いが、人生の大きな分岐点になったと思っています。今、塾のホームページを見ている皆さんもぜひ一度見学に来てみて下さい。熱血塾長が迎えてくれますよ!

真木 かをり (第30期生)

こんなに情熱をもって指導をしてくれる人はいない!

それが私が当塾を選んだ理由です。

私は放送局のアナウンサーを7年間勤めましたが、
ナレーションや式典MCなど『もっと幅を広げたい』と思い当塾の門をたたきました。

と、その前に他塾の体験レッスンに足を運んだ時の話を。。。
参加しているのは『人前で上手に話せるようになりたい』という方から
『アナウンスの仕事に就きたい』と思っている方など様々。
もちろん技術にだって差があるのは仕方のないこと。
じゃあ、授業という限られた時間でどのレベルを目指してレッスンを進めていくか。
ここは重要なポイントです。
私が見てきた塾の多くは【初めたばかりの方々】に基準を合わせます。
そうなると経験者には正直物足りなく悶々とするのです。

その点、当塾は、プロとして現役で活躍する岩尾康延塾長が見本を見せてくれた上で
【見本に近づく!】【追いつけるように各自が努力する】という
いわゆる【習得できた人たち】を基準に練習していきます。
かといってそうでない人たちを置き去りにするわけではありません。
みんながSTEP UP出来るように当塾にはオリジナルの勉強法があります!
それは【生徒同士が教え合う】ということです。
元々出来なかった生徒が、練習を重ね出来るようになったところで
まだ習得出来ていない生徒にアドバイスをするのです。
これが効果覿面!
出来るようになった生徒は身を以て体得したことで、コツを掴んでいるのです。
もしかしたら塾長の話す言葉よりも、生徒同士だからこそ伝わる言葉、わかりあえることもあるんだと。

私が苦手な分野は得意な人たちから知恵と技術を得ることが出来ます。
その分、私が得意な分野は私なりの習得方法を伝えることが出来るのです。
そうやって全員で切磋琢磨出来る場所だと思います。
それが【生徒同士が教え合う】最大のメリットです。

練習してもなかなか習得できず、情けなく諦めそうになったこともあります。
しかしそんな時でも、誰よりも塾長が諦めません。
見捨てることなく、私たちを育ててくれようとします。
こんなにも情熱と愛情をもって育ててくれる塾は他にはなかなかないかと。
出会えた私は幸せです。

といっても、イメージ出来ないかもしれませんので
まずは気軽に体験レッスンまで♪

藤原 恵子(第31期生)

授業に衝撃!

東日本大震災が起きた直後、自分が本当にやりたいことをしなければ後悔する!と心から感じ、前からやりたかった声の道に進むことを決意。フリーアナウンサークラブの扉を叩いたのが26歳の時でした。
か細くて頼りない私の声を岩尾チーフはいつも気遣ってくれ、かと思えば授業は一切甘えなしの超スパルタ!悔し涙に濡れながら千歳烏山駅への道をとぼとぼ歩く日々でした…

授業で特に衝撃を受けたのは「カタカナ音声広域発生」!
毎日練習していたら、3ヶ月ほどで驚くほどに音域も声質も目に見える(耳に聞こえる?)変化が現れはじめたのです。コンプレックスだらけだった自分の声域はここまでだろう、と勝手に決め付けていただけだったことに気づきました。
「藤原さんの声が入学時から一番変わった」と同期の方から言われた嬉しい言葉が忘れられません。

卒業も残すところ数ヶ月…という時に挑戦したJ-WAVEのオーディションで、午前中の帯番組の枠を担当することが決定したのでした。全くの素人だった私がこんなことになるとは!?もはやナレーション技術だけでなく「人生大学」と言えるほどチーフから様々な教えを受けていたことが、全て今に繋がっているのだと自信を持って言えます。

この塾で切磋琢磨することで、人生も人格も変えてもらえました。岩尾チーフ、長田マネージャー、そして同期・先輩たちに心から感謝。

今もラジオの生放送やナレーションのお仕事の度に「チーフがどこかで聴いてるかもしれない、シャキッとやらなきゃ!」と襟を正す自分がいます。

まだまだこの世界でやりたい事は山のようにある私。フロンティア精神で「次を依頼されるレベル」を目指し日々精進なのです。

丸山 純路 (第7期生)

実地に沿った指導・・・

当時、手法の一つにカタカナ読みというものを岩尾先生の塾で勉強し、音声の高低の大事さを教えて頂きました。岩尾塾やフリーアナ・クラブでは、他の養成所では体験出来ない実地に沿った指導をしております。また仕事においても戦力となれば、即お仕事を頂けるかと思います。
数多くある形式化した養成所と比べ、ライブ感の岩尾塾は、ヤル気と根性がある人ならオススメのところです。今まで岩尾塾(放送タレント塾)やフリーアナ・クラブで学んだことを活かして自分も更に精進していきたいと思っています。

那波 一寿 (第1期生)

カタカナ読みは、読みの基本となっている!

時は1970年代いわゆる日本の高度経済成長時代、今は殆ど聞きませんが、脱サラ、つまりサラリーマンを脱して、自分で小さくてもいいから何かを始めよう!という社会風潮の中、サラリーマン稼業を始める前から「いつかは何かを始めたい!」と意欲に燃えていた私は、大学卒業後三年ばかりサラリーマンを経験しましたが、その後自分で小さなビジネスを始めます。

お陰様である程度軌道には乗った商売ではありましたが、しかしそんな中 もっと自分が本当に一生を賭けて打ち込める分野はないかものかと青春放浪(笑)していた私でした。そんな中、遂に私が探し当てたもの、それが ナレーターと いう天職だったのです。

まさにそんないきさつだったからこそ30才でこの世界に入ってきたこの私、ある方の紹介で岩尾チーフと巡り会ってからは、自分なりに一生懸命に修行したものです。

今でも感謝してもしきれない NHKのアナウンス読本の中のセンテンスを使った
「カタカナ読み」は 私の読みの基礎になっておりますし、私自身若い方に教えはじめて20年以上になりますが 私の基本カリキュラムとしても使わせてもらっているくらいです。

更には、私が自分で工夫した様々なナレーションの勉強法も ナレーター塾の一期生時代に 身に付けさせてもらった方法が基本になっているのです。(そう、私は塾の一期 生なんです!)

そういう意味で 岩尾チーフ並びにナレーター塾には、まさに感謝しても感謝しきれないのですが じゃあナバカズトシというのは どんなナレーターなのか?という方 恐れ入りますが、ちょっと《フリーナレーター》で 検索してみてくださいませんでしょうか・・・なんと!自分でもビックリですが 最近はトップ位置につけさせてもらっています。

これもそれも原点は岩尾チーフのレッスンがあったればこそと感謝しながら 今日もマイクの前に向かう私なのであります。

松坂貴久子 (第29期生)

生涯現役の道が開いた!

フリアナとの出会いが、私の人生を変えてくれました!
元 地方の局アナで、子育て終了後「これからは 時々 好きな司会の仕事でもしながら のんびり過ごそう。」と思っていた矢先、とある会合で たまたま塾長と隣合わせになったのです。
フリアナの授業はまさに熱血で「まだまだ学ぶべきことがあった!」と目からウロコでした。塾生同士が教え合う指導法も刺激になりました。そして何より 塾長の情熱と愛らしいキャラクター…それを絶妙にフォローするマネージャーの心配りと優しさ…塾としても事務所としても とても良い所です。
たまたま頂いたショップチャンネル出演のチャンスがきっかけで それに関する資格まで取得した私。今では自宅や都内で「センスアップ講座」を開くようになり、まさに「生涯現役」の道が開けました。
全て フリアナとの出会いのお陰だと、深く感謝しています。

小出マサト (第20期生)

塾長の熱意は今も支えとなっています

ナレーションの仕事現場で必要なのは、表現方法の豊富さと、それを的確に使い分ける事が出来る頭脳と身体です。
では、その為に何をすれば、どんな鍛錬を積めば良いのか?
私が今もナレーターとして活動出来ているのは、「放送タレント塾」でプロとして必要な技術と知識、心構えを学べたからです。
そして、何より指導してくださった塾長の熱意が、今でも私のモチベーションを支えてくださっています。

鈴木房子 (第32期生)

フリーアナウンサー・クラブ放送タレント塾に通って人生が変わりました

小さなころから声の仕事につきたかったものの、ただ勉強する日々だった私。
仕事に行きながら大手の学校に何校も通ったこともありましたが、うまくなる実感が得られず、もちろんプロにはなれませんでした。その状況が一変したのがこのフリーアナウンサークラブとの出会いです。

音域拡張発声、段下がりの法則、さらには段下がりを守ったうえで文章に様々なイメージや感情の色を入れ目まぐるしく変化するスポットアナウンス。どれも一筋縄では行かないものばかりでした。でもだからこそ、夢中で追いかけ、寝る間も惜しんで取り組むうちにプロになれた。

物わかりの悪い私は、一から説明されないとわかりません。そんな私でも、塾長は見捨てずに指導しきってくれました。悔し涙に震える日もありましたが、それがプロになり、日々の仕事の中で塾で教わったことに何度も救われたとき、大きな感謝に変わりました。

私だけではありません。クラスメイトのほとんどが、一年でラジオキー局のキャスターや番組のDJ、アナウンサーになって旅立っていきました。みんな、それまでは会社勤めや学生だった人たちです。それぞれが個人でオーディションを受けた場合は塾の実績としてはホームページには載せられないので分かりずらいですが、実は主な卒業生に掲載されている以外にも、フリーアナウンサークラブから第一線のプロになった方はたくさんいます。

私の代の同期は、クラスの7~8割は卒業時にはプロに変わっていました。
奇跡のような話ですが、私の見てきた本当の話です。今年も後輩が大手事務所のDJやアナウンサーになりました。実績はさることながら、レッスンは、驚きの連続です。

また、フリーアナウンサークラブ放送タレント塾のいいところは、実践的な私塾だということ。すでにプロだったり、活躍してブランクがある方が技術を鍛えなおす場ともなっているので、初心者はもちろん、同じクラスにプロがいます。その中で切磋琢磨することで、プロの方は追われる身ともなりながら技術が向上し、私のような初心者はその背中に追いつき追い越せでいつの間にか、集中しすぎて頭痛がするほどの(実話です)濃い授業に。

また、その授業などで一緒に切磋琢磨した仲間は貴重な同志。卒業後もそれぞれの活躍する様子に勇気をもらったり、あきらめそうになったとき、ささえられたり、励まされ、ここまで続けることができました。私の場合はプロといってもフリーがスタートだったので、何も確証のないまま、道も歩いてみなければ分からない状態でしたが、そんな時、塾の技術と同期や先輩の励まし・そして活躍する姿に刺激を受け、そして時にはそんな皆さんが私に仕事をくれ、とても高い場所まで引き上げてくれました。

塾に通って一年 大手の博物館のシアターナレーターに受かって以来、声の仕事がなかった月はひと月もありません。また、私はもともと金融機関の会社員だっため、実績がまるでなく、オーディションに通ってもはじめは単発であったりお試し的な採用もありましたが、数か月後には必ずレギュラーになる、ということを繰り返してきました。

自分と技術・実力だけという世界で、このようなことが繰り返されるのは、塾の技術は本当に普遍的なしゃべりの技術の基礎を鍛え上げてくれているからでしょう。実際、塾からは、DJ、アナウンサー、ナレータ、キャスター、司会者、あらゆる分野の優秀な人材が輩出されています。

なかでも、塾長の掲げる“オンリーワンレベル”に到達した方たちは声の世界で日本を代表する活躍をされており、目標でもあり尊敬してやみません。(塾の主な卒業生にも掲載されています)

私もオンリーワンレベルをめざし、どこまでも高みを上っていきます。
博物館のシアターで上演番組の生ナレーションをつけるという、対面でのナビゲーターの仕事に塾を卒業して一発目のオーディションで受かって以来、司会・MC・企業ナレーション・再現VTRの役者や商品紹介のモデルまであらゆる仕事をしてきました。

そんな私ですが、最近は、地方局ではありますが、夢だったTV CMの仕事、また、ラジオでは毎月ショッピングキャスターとして全国各地のラジオ局で声が流れるなど、メディアに声を乗せることができました。

フリーで、しかも三年でここまで来られたことは私としては大きな自信となっています。

これからも、なにごとも本気でやれば道は開ける、をモットーに、塾の教えをさらに自分の中で昇華し、自分自身もこのフリーアナウンサークラブの技術のすばらしさを体現していく一人となれたら幸いだと考えています。

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